我慢の人生だったんだろうなあと思う。
父親の父(自分にとってのおじいちゃん)が昔ながらの寡黙で頭の固い人間で、
本当はじいちゃん(社長だった)のコネで会社入るのイヤだったけどどこも受からなくて仕方なく入り、
仕事し始めてからも「つまんねえ仕事だよ」って言って転職活動してたらしい。ほんとはテレビのADとかバスの運転手になりたかったらしいw
父の兄が、威圧感あって声デカくて、うちの父親はそれと正反対のおとなしい性格だったんですよね。(A型)
だから小さい頃から、いろいろ言いたいこと我慢して過ごしてきた子供時代だったのではないかと。
生きてるときもお母さんに積極的に会いに行こうとしてなかったしなあ(ばあちゃん)
★2/21 追記。天国で大杉漣さんに会ってると思うw歳と命日が近いw
知り合いとかじゃないけど、父はミーハーなので、「えっ!?大杉漣だ!?え、なんでいるんすか!?」って言ってると思うw
父親が死んで思うこと
・自分があと仮想通貨始めるの1年早かったら「爆益出たぞ!今後はお金の心配しなくていいよ!」って言えて安心して逝けたかもなあ。
・これから常に天から見守ってくれてるのかと思うと気まずいんですが・・・w
・親が死んだときでさえこんな気持ちになるんだから、もし自分が中学生のとき死んでたら・・・。子供が先に死ぬのってとんでもねえな。
・今会えたら、「死ぬのって、どんな感じ?」って聞きたい。
死んだらどうなるんだろう。
・入院中からずっと思ってたんだけど、なんというか、「死んでしまって悲しい」っていうより、「痛かっただろうなあ。可哀想だなあ」って気持ちが大きい。
・葬式中ずっと泣いてたけど、知らない人が見たら悲しんで泣いてるように見えるんだろうね。
いろんな泣き方がある。自分と照らし合わせて泣いたり、自分の大切な人に置き換えて泣いたり、自分も身近な誰かを亡くした経験があるのならそれを思い出して泣いたり。
・病院着いてから30分くらいで亡くなったので、来るのを待ってたんじゃないかなあと思った。
・骨にガンが転移すると、激痛らしい。転移する前に、苦しむ前に逝けてよかったかもしれない。緩和ケアに行ったら痛みを感じる前に薬で徐々に・・・ってやってくれる予定だったみたいだが。
・結局、入院中に「あと1ヶ月だって」とは言わなかったんじゃないかな・・・
・入院中だから優しくできる部分もあった。もうすぐ死ぬから優しくできる、って部分もあったと思う
・父の家系はずっと長生きだったのだが、父だけ62歳で死んだというのは、一種の反抗だったのかもしれないですね・・・w
・あと20年生きて、介護するよりはよかったのかなあ、って。自分で言ってて寂しくなりますが。介護生活が長くなると、嫌な思い出だけが残っちゃいますからね。
・昔、老人ホームで元職員が大量虐殺みたいな事件がありましたけど、あのときは気持ちもわかると思ったけど、もしかしたら寂しいかもなあ。遺族は
・父の母は93歳で、まだ生きてます。元気です。
・これから、何気なく漫画読んで片親の登場人物が出てきたり、親が亡くなるシーンとかあったら、今までと見る目が変わるんだろうなあ
・遺影は60歳の誕生日に焼肉屋行って、何気なく撮った写真になった。撮ったときはこれが遺影になるなんて夢にも思わなかった。
・まだ入院してるときに、父「俺が死んだら生命保険出るから」とは言ってたなw
・葬式の挨拶で弟が「これからは俺が家族を守ります」みたいなこと言ってて本当に気持ち悪かった。
偽りなんですよ。白々しい。
・前提として、うちは家族崩壊してました。自分がHSPだからそう思ってるだけなのかな?
・病院は1日おきに行ってたんですけど、直前は弟と喧嘩して2日行かなかったんですよね。そのタイミングで死んでしまった
・27歳で片親になるのはそれなりに早いかもしれない。
・入院してたとき、父「看護師の質が悪い」ってポロッと言ってたので、入院してからもストレス溜めてたと思うとかわいそうだ。
・1/18から入院して、亡くなる2/13まで、ずっとおむつだったし、1人じゃ食べられないから行った時に自分か母が食べさせてた。
トイレは看護師さんにやってもらうしかない、食べ物は家族に食べさせてもらうしかない。屈辱だったでしょうね。
いつも自分「きっとこうなる前にコロッと死にたかっただろうなあ」って考えてた。
入院前に家でうんこ漏らしたこともあったしなあ。
人間って赤ちゃんのときは食事もトイレもやってもらうしかないじゃないですか?
人は生まれてきたときと同じようになって死ぬのかなあ、と思ったりね、、
・こんなに苦しむ最期だってわかっていたら、抗癌剤治療やるって言わなかったし、心筋梗塞の時点で「治療しない」って言ってたでしょうね。
来年に認可が下りる!っていう「夢の薬」(=オプジーボ)が、蓋を開けてみたら対して効かなかったんですよ。何が夢の薬やねん。
・家にいるときよりも、入院してたときのほうが優しくできた。それはやっぱり家にいないのが嬉しかったからだと思う。
・2月の頭ごろ、父「トイレに行きたいんだよ」ってしきりに言ってくるときがあったんですよね。
入院してから一度も歩いたことも、車椅子乗れたこともなかったのに、「歩いて行きたい」ってずっと言ってくるもんだから怖くなって、「もうあんまり見舞いに行きたくない」ってなったときはあったなあ。
看護師さんにやってもらうのが屈辱で耐えられなくて爆発したのかな、、
・あんなに早く死んでほしいと思ってたのに こうなってみるともっと優しくしてあげればよかったって思うもんだね 勝手だよね
生きてるときは「延々と続く日常は地獄だな」と思ってたのに。ほんと勝手だよね。
・まさか自分がこんな感情になると思ってなかった。清々すると思ってた
・ここ3年で8回くらい入退院を繰り返した気がするが、そのたびにオカンが毎日病院に行くんですね。家にいるときは「邪魔!」「ずっと家にいるから何も出来ない!」って言ってたくせに、なんでそんな心配してるの?死んだほうが都合いいんじゃないの?って思ってたけど、こうなってみて、母のこと言えないなあ
・今父親が嫌いだって人は、父親の友達に無理矢理でも会うことをおすすめする。
+、昔の、あなたが生まれる前のアルバムを見てみればいい。
家ではあんなんだけど、外では色んな人に愛され好かれてたんだよね。家でもちょっとは見る目変わるかもです。
みんなも家ではぶっきらぼうな感じでも、外(職場とか学校とか)ではちゃんとしてるって心当たりあるよね。。
・「外面」が家の中では全然わかんないからなあ・・・
・さすがにこれら↑の感情は、生きてるときには気づけない。
「死んでみて初めてわかる」ってやつだ。こればっかりは1回しかチャンスがないので、「次に活かす」ってことができないんだね。
・宇宙に行きたがってた(SF映画が好きだった)。自分が秒速の与沢翼さんとか和佐大輔みたいな人間だったら行かせてあげられたかもしれないです。今宇宙って何ヶ月待ちなんだろ。
・最後に何話したか、あんまり覚えてない。「じゃあね、まだ来るから」ってバイバイしたのは確かだけど。
近くでイベントやってたので、そこでアイス買って持っててそれを四分の一くらい食べたんだよね。2/10に会ったのが最後。オリンピック一生懸命見てたから、最後まで見たかっただろうなあ。
あと看護師さんにおむつ買い足しといてくださいって言われてまとめて買ったのに、あんまり使われないまま終わっちゃったね・・・
・みんな(世間)と違う次元を生きてる錯覚に陥る
・やっぱり早くに一人暮らししてればよかったって後悔した。離れてたほうが家族関係うまくいく。
父の友達に「離婚してるわけじゃないけど、別荘で一人暮らししてる」人がいるんですけど、
そういう人が身近にいるけど、「俺もそうしようかな」みたいにうちではなんにも言い出さなかったのは、ちょっとは家が居心地いいと思っててくれたのかな?
・父親入院中あるある:見舞いに行っても喋ることがない
・逝ってからあるある:心霊現象が起こっても「あーなんだ父親か」って怖くなくなる
・寒い時期だからそれなりに病院通いは大変でした、、せめて春か夏だったら
・写真、今まで全然撮ってなかったのに、死んだあとの写真が一番多くなったいう皮肉。
・食事の席で何人かに「今、何してるの?」って聞かれるが、「ブロガー」って言ったら死ぬほどギャグだなと思ったので「ホームページとか作ってます」って言うだけのお仕事
・亡くなる1週間前くらいに父の兄が見舞いに来たんだけど、こいつがお母さん(自分にとってのおばあちゃん)のビデオレター撮ってきて見せたんだよね。大部屋にも関わらず。普通、そこまでする??普通にドン引きだった
こんな感じで兄はいかにも田舎もんって感じで「家族の絆!」みたいのを押し付けてくるので
これ見ていろいろ思うところがあったんじゃないかなあ。ほとほとうんざりして、生きる気力削がれたのかも。もしかしたら「母親より先に死ぬわけにはいかない。生きなきゃ!」って奮い立ったかもしれないが・・・
・起こった心霊現象:父が使ってた時計が命日の日付(13日)でずっと止まってた。
翌日、2階からなんか落ちる音が聞こえて見に行ったけど何も落ちてなかった。
じいちゃんの死んだ時間とだいたい一緒。曾祖父さんの命日が誕生日。昭和30年に生まれて平成30年に死んだ。
・2018年の正月、家で過ごせたからよかったかな。おせちも食べてたし。
・過去のLINEを見てると悲しくなる。ああ、この頃は、これを打ってた頃はまだ生きてたんだなって。生きてたから、これを打てたんだなって。
・父親宛の郵便物が来ると悲しくなる。
・自分の家から線香の匂いがすると変な感じ。
・看護婦さんに父「散骨にしてくれって家族に言ってくれ」「24時間付き添いとかもいらないから」とは言ってた。
・自分にとっては死んでから葬儀まであっという間で何かを考えてるヒマもなかったけど、知らされた遠縁の親戚とかは「まじかー香典かー」って思っただろうな・・・w
・心筋梗塞起こす2015年あたりは、何故か介護の仕事やってまして。(父)
おばあちゃんとかの送迎のバスの運転手とか、リハビリの相手とか・・・。
その時は父親が何やってるかとか、特に全然興味がなく(向こうもそんなに突っ込まれたくないだろうなと思ってた)深く気にしたことなかったんだけど
今までと全然違うジャンルの仕事、正社員じゃなくパート、50代後半でおそらく年下から何かを「教えてもらう」辛さ、
どういう気持ちでやってたかとか、ほんとは辞めたかったのか楽しかったのか、全然わかんない。何も言わなかったから。ほんとはこんな仕事嫌だ!って思ってたのか、プライドズタズタだったんだろうか?
でも、職場の人からはかなり慕われてたみたい。その時の人みんな葬儀に来てくれたから。
・入院中はもうすぐ死ぬから優しくできる部分もあるなあと思ったり。
・入院してくれてたほうがホッとするってのはあった。
・胆汁の管がずっと外に出るようになってからなんか近くにいると独特の匂いするんですよね・・・父がじっとしてるとなんともないんだけどちょっとでも動くと匂ってくるというか・・・それが地味に辛かったですね。ちょっとね
さっき、昔のアルバムを見た。まだ自分が生まれてなくて、父とオカンが付き合ってた頃の。
こうやって、笑って、楽しそうにしてた時期があるんだなあって。もっといろんなとこ連れてってあげればよかったなあって思いますね。
昔の写真見ると、ああ、この人にもちゃんと人生があって、生きてたんだなあと思えるね。家では尊敬できない嫌な父親だったとしてもさ・・・
母とデートしてた頃の楽しそうな写真を見ると、自分なんか生まれないほうがよかったんじゃないかって気がしてくる。子供いらんかったんじゃ。