昨日の「金は命より重い」は本当ですを書いていてなんかちょっと引っかかるもんがあって、
自分の親に対してはこの記事↑で言った通りの感情なんだけど、
まあ・・・うちの親はどっちもHSPに理解ないし、同性愛とかにも理解がないわけですよ。バカにするタイプ。
自分、小さい頃から、オカンにずっと「考えすぎだよあんた」って言われてきたのね。
で2年くらい前にHSPを知って、「これだったよ。名前があったよ」って言ったら、「なにそれwwwwなんでも病気じゃんwww」ってすごいバカにされたのね。
そういう人を尊敬したり、面倒看たいと思うかって話なんですよ。
確かにこの世の中って、なんでも病気にしすぎ。あたしもそう思うときある。
けど、それほど人間の内面は複雑ってことなんですよ。
だからこれ見てるあなたが、身近な人に精神的な病気を告白されたら、絶対に笑っちゃダメ。その瞬間にその人は一生あんたのこと信用しなくなるよ。
親が死んだときより友達が死んだときのほうが悲しい
と、親に対してはそういう感情を持ってます。
でも・・・例えば好きな人とかね、結婚して旦那さん・奥さん相手だと、きっとどんな状態になっても生きててほしいって思うだろうし、むしろ面倒看たいって人が多いと思うんだわ。
YouTubeのコメント欄でも「むしろ他人に触れさせたくない、って感情になるかもしれない」ってコメントがありました。
だから親とか兄弟っていうのは特別な立ち位置なんだよね。
介護が壮絶になることを想像すると、ピンピンコロリ(PPK)で「あんなに元気だったのに・・・」って惜しまれるくらいがちょうどいいわけだが、そう思うのは親兄弟に対してだけだよね。
むしろ友達が死んだときのほうが、親が死んだときより悲しいと思う。
それは、面倒見なくていいからです。
赤の他人だから。
だから純度100%で悲しめるの。
だから、親の生き死にとか、病気とか、介護っていうのは、自分が、娘のあたしがやらなきゃいけないことだから、こういう感情(介護で壮絶になる前に死んでよかった)が出てきてるんだな、ってことに気づいた。
親が死んだときは、ああ介護士しなくてよくなったな、とか生命保険出た、とかプラス思考で考えられるわけよ。
でも友達の場合はさ、本当に好きだったら・・・悲しさしかない。プラスで考えられる要素なんかないよ。
嫌いな奴だったら「あーもうこれで会わずに済む、いっつも誘い断るのめんどくさかったからそれもなくなる。あーよかった」って思えるかもしれんけども。
だから、プラス思考でいられる要素がないくらい好きな人が、身近に・・・身内にいる人は、この自分の記事とか動画許せないと思う。
そうやって思える人がいるのは、すごく素敵だし、羨ましい。
ただあたしはそういう人間に今まで出会ったことがないので、こういった考え方をしてるよってことですね。